東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)246号 判決
1 請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで、原告主張の審決取消事由の存否について判断する。
(一)(1) 原告は、第一引用例には、(い)僅かに架橋結合した親水性重合体であつて、これを膨潤する能力を有する膨潤剤を実質的に含まないものを製造すること、及び(ろ)それを切削、研摩からなる機械的加工により、膨潤して容積の増大したレンズの形状を予知しながら所望の形状に仕上げることについての直接的記載がない点で本件発明と相違するとした上、コンタクトレンズを機械的加工により製造するための材料としていの要件をもつものを採択することは、(い)の要件には入つていないから論ずる必要がない旨先ず主張する。
しかしながら、当事者間に争いのない本件発明の要旨には、「僅かに架橋結合した親水性重合体であつて、膨潤剤を実質的に含まないものを採択してこれに機械的加工をほどこす」ことが包含されていることは明らかであり、成立に争いのない甲第二号証の一ないし四によれば、本件発明は、親水性重合体から切削及び/又は研摩からなる機械的加工によつて所望の形状のソフトコンタクトレンズを製造することを技術的課題とし、その解決手段として膨潤剤を実質的に含まない親水性重合体を採択して、これに切削及び/又は研摩からなる機械的加工を適用するものであつて、この点が本件発明における最も重要な技術的思想であると認められる。
したがつて、本件発明における最も重要な技術的思想を(い)と(ろ)の二つに分断し、そのいずれの要件にも右材料を採択する技術的課題が含まれていないからこれを結合して論ずる必要がないとする原告の主張は失当であり、本件発明の容易推考性を論ずるについては、右材料について、ソフトコンタクトレンズを機械的加工により製造するための材料として採択する技術的課題から、原告が(い)、(ろ)とするところを不可分離の要件とし、その前提のもとに容易かどうかを検討しなければならず、以下その趣旨に従つて判断を進める。
(2) 原告は、本件発明の要件に、右材料について、機械的加工に適用するために採択することが含まれるとしても、その機械的加工をしようとするとき、膨潤状態では困難であるので、それを非膨潤状態で機械的加工をしようとすることは、当時すでにハードコンタクトレンズの切削研摩に習熟していた当業者なら当然考えるところである、と主張している。
しかしながら、前掲甲第二号証の一ないし四、成立に争いのない甲第三号証、第六号証、乙第一号証によれば、ハードコンタクトレンズは、水や体液によつて膨潤することのできない材料でつくられており、非膨潤の硬い状態のまま使用されるものであるのに対し、本件発明や第一引用例の発明に係るソフトコンタクトレンズは、水を含んだ膨潤状態で使用され、生体との適合性にきわめてすぐれた画期的なものであつて、ハードコンタクトレンズとは用途がコンタクトレンズである点においては同一であるが、材料としては全く異質なものとして認識されていたものと認められる。そして成形方法は、それぞれ材料の性質に適した成形方法として、その材料に対応して個別的に採用されてきているという一般的な技術常識に鑑みれば、同じコンタクトレンズであるとはいえ、材料の性質が全く異つているハードコンタクトレンズの成形方法をそのままソフトコンタクトレンズの成形方法に転用してみようとすることは技術常識に反することであつて、到底容易なこととすることはできない。
(二)(1) そこで、更に、第一ないし第三引用例について検討する。
まず、前掲甲第三号証によれば、第一引用例には、コンタクトレンズ、外科用の板状部材又は充填部材、ペツサリー、隔膜のような親水性膨潤成形物品とその製法が記載されており、前記成形品は多数の親水性の非イオン性基を含む長鎖状重合体よりなり、その長鎖状重合体は所望の物品の形状を有する型又はブロツクの形を有する型の中において重合架橋され、その架橋の程度は長鎖状重合体の単量体単位五〇~六〇〇個毎に一個の架橋が存在する程度であり、該長鎖状重合体成形品は、水及び/又は、エチレングリコールのような水溶性不活性液体を反応混合物の全重量に対し二〇~九七%存在させて前記型中で重合架橋を行うことにより製造し、得られた成形品は水洗し、水又は水溶液中に貯蔵するものであることが認められ、更に、実施例一として、ポリビニルアルコール水溶液を主体とする組成物を用いて型の中でヒドロゲルをつくり、型から取り出して水洗し、ホウ酸水溶液に浸漬すること、実施例二として、ポリビニルアルコールを主体とする組成物を用いて型の中でヒドロゲルをつくり、得られた成形品を隔膜又は類似物として利用すること、実施例三として、トリエチレングリコールモノメタクリレート、トリエチレングリコールジメタクリレート、水、エチレングリコールよりなる組成物をコンタクトレンズの形状をした金型の中で触媒により重合し、得られたコンタクトレンズを型から取り出し、水洗後ホウ酸水溶液中に保存すること、実施例四として、アクリルアミド、エチレングリコールモノメタクリレート、エチレングリコールジメタクリレート及び水よりなる組成物を金型の中で触媒により重合し、得られたゲル状物を水洗し、溶液中にて保存することが記載されている。
しかしながら、重合体成形物を切削又は他の機械的加工により製造する技術は、その実施例中には開示されておらず、ただ、機械的加工に関し、「前記ポリ反応、すなわち重合又は縮重合は、要求される物品に対応する型の中で行つてもよく、或いは該物品より大きなブロツクをつくるための型の中で行つてもよく、この場合は該物品は得られたブロツクより切断又はその他の機械的成形方法によりつくることができる。」(第一頁第一九行ないし第二五行)、「親水性成形品は、本発明によれば、多数の親水性の非イオン性基を含有する長鎖状重合体を所望の物品の形を有する型の中で架橋するか、或いはブロツクの形を有する型の中で架橋し、物品を該ブロツクから切断によつて成形して作製される。」(同頁第六八行ないし第七四行)、旨記載されているにすぎず、右切断又は機械的成形方法をヒドロゲル(膨潤剤を含有する状態のもの)の状態で行うのか、キセロゲル(膨潤剤を含有しない状態のもの)の状態で行うのかについてすら明確な記載はない。そして、この特許明細書に示された技術は、膨潤剤二〇~九七%を含む重合体物品を金型中で製造する技術であり、得られた重合体物品はヒドロゲルであつて、かつヒドロゲルの状態のままで使用することを目的としているものであることが明らかであるから、右の機械的加工は、金型の中で得られた重合体、すなわち二〇~九七%の膨潤剤を含むヒドロゲルの状態の重合体に対して実施するものと解すべきであり、本件発明における実質的に膨潤剤を含まない重合体に実施するものと解する余地はない。
したがつて、膨潤剤の存在下で重合して得られたヒドロゲル重合体からことさら膨潤剤を除去し、硬い状態に変化させてから機械的加工を行い、ついで再びヒドロゲルの状態(膨潤した状態)にもどす本件発明の加工方法は、第四引用例記載のハードコンタクトレンズの機械的加工技術と第一引用例記載の技術に基づいて容易に発明することができたものとはいえない。
(2) また、成立に争いのない甲第四号証によれば、第二引用例は、「生物学的用途の親水性ゲル」と題する論文であつて、生物組織に対して使用しうる親水性架橋プラスチツクの中で、「グリコールモノメタクリレートと一〇分の数パーセントのグリコールジメタクリレートとの共重合体が最も好適である」こと(第一一八頁左欄第一四行ないし第一六行)、「このような共重合体はほとんど加水分解することがなく、また生物学的物質に対し中性である。その上機械的特性や含水量を要求に応じて調整できるという利点がある。また損傷なく熱殺菌にも耐える。」こと(同欄第一五行ないし第二二行)、「グリコールメタクリレートから得られたゲルはその透明度において注目すべきである(含水量が三〇%以下で、高濃度のグリコールを含むポリグリコールモノメタクリレートの場合)。」こと(同欄第二八行ないし第三二行)、「適当な型内での水溶液の重合によつて、所望の形状物が得られる。」こと(同欄第三九行ないし第四一行)、「グリコールモノメタクリレートの迅速な重合による多孔性構造の形成は非常に重要である。」こと(同欄第四五行ないし第四七行)、「多孔質試料を乾燥させると、水に浸漬すると元の形状構造にもどる透明な固体物質が得られる。」こと(同欄第五二行ないし第五四行)、「このような物質は眼球摘出後の充填等の応用に適していることがわかつた。また他のケースにおける実験、例えばコンタクトレンズ、動脈等の製造においても有望な結果が得られている。」こと(同欄第六〇行ないし第六五行)等が記載されている。
しかしながら、この論文は、親水性架橋重合体の成形加工法について、金型の中で単量体を重合して所望の形状物を得る方法を開示するのみで、切削又は研摩等機械的加工については何らの記載も存しない。
したがつて、第二引用例には、実質的に非膨潤の状態の親水性架橋重合体がハードコンタクトレンズの材料であるポリメチルメタクリレートと同じような機械的加工をしうる程度の硬度を有することが示唆されていると解することはできない。
(3) つぎに成立に争いのない甲第五号証によれば、第三引用例は、生物学的物質をヒドロゲル中に埋込み、これを薄く切断して顕微鏡の生物学的標本用の超薄型切片を製造する技術に関する論文であつて、超薄型切片調製用封埋材として、グリコールモノメタクリレートとトリエチレングリコールジメタクリレートの二種の単量体の混合物が用いられること、この二種の単量体は重合することによつて三次元構造をもつた透明重合体となること、この透明重合体の最終性質、特にその硬さは二種の単量体の混合比と、特に混合物の含水率によつて調節することができることが記載されており、その重合体は親水性三次元構造重合体、すなわち親水性架橋重合体である点において、前示のような本件発明や第一引用例記載の重合体と同一であると認められる。
しかしながら、本件発明や第一引用例の発明は、前示のようなコンタクトレンズのような生体組織と長期間接触して使用される物品に関する技術分野のものであるのに対し、第三引用例の技術は、顕微鏡用の生物学的標本をつくるための超薄型切片を製造する技術に関するものであるから、両者は技術分野を異にするばかりでなく、第三引用例の技術は、あくまでも生物学的標本の製造が目的であつて、親水性架橋重合体薄片それ自体を得ることを目的とするものでないことはその記載内容から明らかであり、超薄型切片生物標本の製造に付随して生物標本の周辺保持部材としての役割をはたしている部分が親水性架橋重合体であつたというにとどまるものである。しかも、その技術ではブロツクから削りとつた方が目的物品になるのに対し、本件発明や第一引用例の発明は、ブロツク本体の方が目的物品になるものと解されるから、第三引用例の技術は、これらの技術と全く異なつた技術とみるのが相当である。
したがつて、第三引用例の記載から親水性架橋重合体がかなり膨潤剤の少ない状態で切削が可能であることが読みとれるとしても、その技術は本件のコンタクトレンズと全く異なる技術分野に属するものであるから、第三引用例の記載事項が、ハードコンタクトレンズの機械的加工に関する第四引用例記載の技術をソフトコンタクトレンズに関する第一引用例記載の技術に転用することが容易であるとするための橋渡し的役割をはたすものとすることはできない。
(三) 原告は、ヒドロゲルの代表例であるポリヒドロキシエチルメタクリレートとハードコンタクトレンズの代表的素材であるポリメチルメタクリレートとは鎖化合物として類似のものであり、本件で問題なのは実質的に非膨潤の状態におけるヒドロゲルの硬度であるから、この点で両者は非常に近い性質を有し、共に機械的加工が可能である旨主張する。
しかしながら、本件発明のヒドロゲルは僅かではあるが架橋結合した親水性重合体であるのに対し、原告が比較すべき重合体としているポリメチルメタクリレートは全く架橋結合していない疎水性重合体であることはその化学的性質から明らかであるから、両者は鎖化合物として類似であるとする原告の主張はその前提においてすでに誤つており、その上、第二、第三引用例の記載を参酌しても、非膨潤状態のヒドロゲルとポリメチルメタクリレートの機械的性質についての関係は勿論のこと、両者の機械的加工特性についての関係も明らかでないから、この点に関する原告の主張は理由がない。
以上の理由により、本件発明が、第一ないし第四引用例の記載に基づいて容易に発明できたものであるとは認めることができないとした審決の判断は正当であつて、審決にはこれを取消すべき違法は存しない。
3 よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとする。